関西を拠点に活躍したフォークシンガー、高石ともやさん。
名前は知らなくても、一度は「受験生ブルース」を耳にしたことがあるのではないでしょうか。
高石さんの音楽人生を語る上で欠かせない存在、それが妻のてるえさんです。
今回は、高石さんの妻や子供について調査していきます。
高石ともやのプロフィール
名前:高石友也 (たかいし ともや)
生年月日:1941年12月9日
没年月日:2024年8月17日(82歳没)
出身地:北海道雨竜郡
最終学歴:立教大学文学部日本文学科卒業
高石ともやさんは、元祖フォーク歌手として知られ、「受験生ブルース」など数々のヒット曲を生み出しました。
また音楽活動だけでなく、マラソンやトライアスロンにも積極的に参加し、幅広い分野で活躍しています。
特に、日本で初めて開催されたトライアスロン大会での優勝は、彼の多彩な才能を示す象徴的な出来事と言えるでしょう。
高石ともやの家族構成
高石ともやさんの奥さんや子供は?
高石ともやさんの家族構成は
本人:高石ともや
妻:高石てるえ
長男
長女
の4人家族でした。
それでは、まず奥さんから深掘りをしていきます。
高石ともやの嫁はてるえ
高石ともやさんの妻は高石てるえさんです。
高石さんの2歳下で、マネージャーとして高石さんを支え続けました。
公私ともにパートナーとして、高石さんの活動を陰ながら支えてきたのです。
結婚生活は40年以上にも及び、まさに二人三脚で歩んできたと言えるでしょう。
大腸がんを患う
しかし2007年、てるえさんは大腸がんを患っていることが発覚します。
しかも、余命半年という宣告。
突然の悲報に、ともやさんは大きなショックを受けたことでしょう。
しかし、てるえさんは決して諦めませんでした。
持ち前の明るさと家族の支えもあり、てるえさんはその後4年間、懸命に癌と闘い続けました。
高石さんは、妻の闘病中、「陽気に行こう」という歌を歌い続けました。
これは、アメリカ民謡をともやさん自身が訳詞したもの。
困難な時こそ明るく前向きに、というメッセージが込められています。
この歌は、てるえさんにとっても大きな支えとなったことでしょう。
しかし2011年、てるえさんはついに力尽きてしまいます。
虚しくて、ただ生きているだけでした。
高石さんは深い悲しみに暮れ、生きる希望さえ見失いかけたと言います。
てるえさんは、高石さんを支え続けた、まさに「陰の功労者」だったのでないでしょうか。
高石ともやの子供は2人
高石ともやさんには、息子さんと娘さんが一人ずついます。
2人とも、すでに独立されているため、高石さんは一人で暮らしているとのことです。
詳しい情報やエピソードなどは公開されていませんが、家族仲は良好だったようです。
おそらく、高石さんが80過ぎていたので50代なのではないでしょうか。
子供も生まれて大学生くらいの子供がいてもおかしくありません。
息子さんや娘さんが子供の頃は、高石さんと一緒にマラソンなどをしていたのかもしれませんね。
まとめ
高石ともやさんの家族についてお伝えしました。
いかがでしたか?
家族仲は良好だったようです。
高石さんのご冥福をお祈りします。
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