アナウンサーから政治家へ転身という異色の経歴を持つ清水貴之さん。
安定していたであろうアナウンサーからなぜ政治家になったのか気になりますよね。
今回は、清水さんの経歴や政治家になったきっかけやについて調査していきます。
清水貴之のプロフィール
名前:清水 貴之 (しみず たかゆき)
生年月日:1974年6月29日
出身地:福岡県筑紫野市
学歴:早稲田大学教育学部
関西学院大学大学院商学研究科博士前期課程
前職:朝日放送アナウンサー→フリーアナウンサー
所属政党:無所属
1974年6月29日、福岡県筑紫野市で誕生しました。
幼稚園の途中で千葉県松戸市に転居し、そこで少年時代を過ごしています。
大学受験では1年の浪人を経験し、早稲田大学教育学部に進学。
学生時代は30カ国以上をバックパッカーとして旅したという行動派でした。
48歳の時にジーライオングループの社長令嬢である田端若菜さんと結婚。
婿入りをして、本名は田端貴之という情報もありましたが、若菜さんには男兄弟がいるので事実は分かりません。
清水貴之の経歴
清水貴之さんの経歴は
1999年 朝日放送(現:朝日放送テレビ)に入社
2010年 朝日放送を退社しフリーアナウンサーへ
2012年 衆議院選挙に「日本維新の会」公認で出馬するも落選
2013年 参議院選挙に出馬し初当選
2019年 参議院選挙に出馬・再選
2024年 兵庫県知事選に無所属で立候補
となっています。
詳しく見ていきましょう!
1999年 朝日放送に入社
1999年、朝日放送(現:朝日放送テレビ)に入社します。
同期は現在も朝日放送テレビでアナウンサーとして活躍している加藤明子さんです。
ちなみにですが、宮根誠司さんは12期先輩になります。
清水さんは早朝番組『おはようコールABC』では9年間もメインキャスターを務めました。
深夜2時起床、3時出社という過酷なスケジュールをこなし続けたんです。
体は正直なところきつかったですが、番組を離れて何年も経った今でも、「テレビ見てたよ!」と声をかけていただく機会が多くあり、いつも元気をもらっています!長く続けて本当に良かったです!
出典元:清水貴之オフィシャルサイト
また、朝日放送ラジオ「上沼恵美子のこころ晴天」も3年半にわたり上沼恵美子のパートナーを務めています。
そんな激務の中、関西学院大学大学院商学研究科の博士前期課程に入学し、2004年に修了しました。
2010年に朝日放送を退社します。
2010年 フリーアナウンサー
朝日放送退社後、井上公造の事務所「KOZOクリエイターズ」に所属し、フリーアナウンサーとして活動します。
井上公造さんが「おはようコールABC」のレギュラーだったので、もしかしたらスカウトされたのかもしれませんね。
この事務所には駒井千佳子さんを筆頭に多くのリポーターが所属しています。
清水さんもテレビ朝日の「モーニングバード」なのでリポーターとして活躍しました。
2011年に起きた東日本大震災で被災地取材することも多く、これが政界への転身のきっかけの一つになったようです。
2012年 衆議院選挙に出馬するも落選
2012年、「日本維新の会」公認で衆議院選挙に初挑戦します。
兵庫4区から出馬されましたが自民党の新人・藤井 比早之さんに敗れます。
比例近畿ブロックにも重複立候補していましたが当選とはならず、落選となりました。
2013年 参議院選挙で初当選
2012年の衆議院選では落選しましたが、2013年の参議院選挙で初当選を果たします。
「日本維新の会」公認で立候補し、得票数2位でした。
2019年の参議院選挙にも立候補し、2期連続当選。
そして、トップ当選という快挙も達成しました。
2024年 兵庫県知事選に無所属で立候補
2024年、斎藤元彦知事の失職による兵庫県知事選挙に立候補する意向を表明し、「日本維新の会」を離党します。
10月10日に無所属で兵庫県知事選への「ひょうごリスタート」というキャッチコーピーを掲げ、候補を表明しました。
と発言し、無所属での挑戦という大きな決断を下しました。
政界進出へのきっかけ
清水貴之氏の政界進出の最大のきっかけは、東日本大震災の取材です。
フリーアナウンサーとして被災地を取材する中で、大きな衝撃を受けることになります。
被災地では、切実な要求や不満の声が数多く上がっていました。
一方、永田町や霞が関では形式的な会議が繰り返され、復興は遅々として進まない状況。
この現場と政治の大きなギャップに、清水氏は強い疑問を感じたそうです。
「なぜ現地で苦しんでいる人々の声を聞かないのだろう?」
「本来の政治とは、困っている人の声を政策に反映させることではないのか?」
このような素朴な疑問が、政治家への転身を決意させる原動力となりました。
また、復興予算の流用問題も発覚し、官僚の実態に強い憤りを感じたそうです。
この経験から、「困っている人の声を政策に反映させるべき」との信念が芽生えます。
単なる批判ではなく、自ら行動を起こそうと決意。
そして、アナウンサーを辞して政界に身を投じる決断をしたのです。
まとめ
清水貴之さんの経歴や政界進出へのきっかけについてお伝えしました。
東日本大震災の経験から「現場第一主義」という信念は、今も清水さんの活動の柱となっています。
現場の声を政策に反映させたいという思いは、今も変わることなく持ち続けています。
その信念を貫いた政治活動が期待されるところです。
これからも清水貴之さんから、目が離せなくなりそうですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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