医師として活躍している大沢芳清先生。
尼崎医療生協病院の院長まで上りつめています。
今回は、そんな大沢芳清先生の経歴について調査していきます!
大沢芳清のプロフィール
名前:大沢 芳清 (おおさわ よしきよ)
生年月日:1963年7月30日
年齢:61歳(2024年現在)
出身地:大阪府岸和田市
現住所:兵庫県西宮市
職業:医師(整形外科医)
座右の銘:「三方よし」「勝つことはあきらめないこと」
趣味:ラグビー観戦(神戸製鋼のファンクラブ会員)
大沢芳清先生は、某大学の法学部通っていましたが、友人が入院したことをきっかけに、医師を目指し医学部を受験し直しました。
現在は尼崎医療生協病院院長を務めています。
患者からは「話すと元気をもらえる」と人気があるそうです。
座右の銘は「三方よし」と「勝つことはあきらめないこと」だそうです。
医師としての真摯な姿勢と、諦めない精神が表れていますね。
意外な一面として、ラグビーの熱心なファンとしても知られています。
神戸製鋼のファンクラブに所属し、試合観戦を楽しんでいるとのこと。
周囲の意見に耳を傾け、柔軟に修正できる謙虚な性格の持ち主だと評されています。
【情報発信】
X(旧Twitter)アカウント:@OsawaYosi
YouTube:おおさわ芳清 憲法県政の会チャンネル
大沢芳清の経歴
大沢芳清先生の経歴は
尼崎医療生協病院勤務
尼崎医療生協病院院長 (2018年)
尼崎医療生活協同組合理事長 (2020年)
兵庫県保険医協会理事
兵庫県民主医療機関連合会会長
兵庫県社会保障推進協議会副会長
兵庫県知事選への立候補 (2024年)
となっています。
詳しく見ていきましょう。
尼崎医療生協病院勤務
大沢芳清先生は、大学卒業後、尼崎医療生協病院で整形外科医としてのキャリアをスタートさせました。
余談になりますが…実は、大沢先生は高校卒業後、某大学の法学部政治学科に進学していたことをご存知でしょうか。
しかし、友人が入院をしたことをきっかけに医学部を目指すことになり、法学部を退学。
兵庫医科大学医学部への進学を決めたのです。
話を戻しますが、一般的な医師の転職回数が4〜5回と言われる中、大沢先生は30年以上、尼崎医療生協病院に勤務しています。
地域に根差した医療を実践し、特に脊椎治療の分野で多くの患者を救ってきました。
「大沢先生と話すと元気をもらえる」と患者から大人気なドクターとなっています。
尼崎医療生協病院院長就任
大沢芳清先生は2018年5月には病院長に就任しました。
さらに2020年6月からは理事長も務めています。
大沢先生が院長を務める尼崎医療生協病院には、特徴的な取り組みがあります。
差額ベッド代を一切徴収しない
医療費の相談窓口を設置している
経済的な理由で必要な医療を受けられない人をなくしたいという思いの表れです。
無料低額診療制度も積極的に活用し、誰もが安心して治療を受けられる環境を整えています。
医療界でのリーダーシップ
大沢先生は病院運営だけでなく、医療行政の分野でも重要な役割を担っています。
兵庫県保険医協会理事
兵庫県民主医療機関連合会会長
兵庫県社会保障推進協議会副会長
兵庫県保険医協会理事や兵庫県民主医療機関連合会長として活躍しているのです。
また、兵庫県社会保障推進協議会副会長としても、地域の医療体制の向上に尽力しています。
兵庫県知事選に出馬
2024年9月7日、大沢先生は兵庫県知事選への立候補を表明しました。
この決断の背景には、新型コロナ禍での経験が大きく影響しています。
医療・介護職員の深刻な不足や、研修医定数の削減問題に直面したことで、県政改革の必要性を痛感したのです。
「医療現場からいのちを守る県政に変えたい」という強い思いが、出馬の原動力となりました。
大沢先生が125の政策を掲げています。
その中でも注目すべき点は
・18歳までの医療費無償化を実現し、子育て世代の負担軽減を目指す
・最低賃金を1,500円以上に引き上げ、働く人々の生活基盤を強化
です。
この他にも、高校の統廃合計画の撤回も公約に掲げ、教育環境の維持を重視しています。
まとめ
大沢芳清先生の経歴についてお伝えしました。
友人の入院がきっかけで法学部を退学して、医学部を卒業し医師免許を取得するという意外な経歴の持ち主です。
今後の大沢先生の活躍も楽しみですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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