アルパインクライマー・山岳カメラマンとして活躍する平出和也さん。
実は、意外な経歴の持ち主で高校時代は陸上部で活躍。
そして大学では山岳部で才能を開花させているんです。
今回は、平出和也さんの経歴について調査していきます。
平出和也のプロフィール
名前:平出 和也 (ひらいで かずや)
生年月日:1979年5月25日
出身地:長野県諏訪郡富士見町
出身校:東海大学
職業:アルパインクライマー、山岳カメラマン
平出和也さんは、1979年生まれの長野県出身のアルパインクライマー兼山岳カメラマンです。
アルパインクライマーとは、登山とクライミング両方の要素を合わせ持つ「登山スタイル」の一つ。
目的が頂上へ登ることや岩壁自体を登ることにあり、非常に難易度が高いスタイル。
高校時代は陸上部に所属し、大学2年生の時に山岳部へ転部しました。
2001年、大学在学中に未踏峰クーラカンリ東峰(7,381m)に初登頂し、日本スポーツ賞を受賞。
2013年には80歳でエベレスト登頂に挑戦した三浦雄一郎さんに同行し、その歴史的瞬間をカメラに収めたことでも知られています。
私生活では、二児の父親です。
平出和也の経歴
学生時代の経歴
まず、平出和也さんの学生時代の経歴から見ていきましょう。
高校時代:陸上部
大学時代:陸上部 競歩で日本選手権10位
2年の秋に山岳部へ
2001年、未踏峰クーラカンリ東峰に初登頂し、日本スポーツ賞受賞
平出和也さんは、中学卒業後、東海大学第三高等学校へ進学します。
陸上部に所属し、競歩の選手として活躍していました。
東海大学でも陸上部に所属していましたが、2年生の秋に山岳部に転向しました。
日本選手権で10位に入賞するほどの実力を持っていましたが、競歩への情熱が冷めたための転部をしています。
高校時代に訓練のために、山を陸上スタイルで走って登っていたことが影響しているのかもしれませんね。
大学在学中の2001年には、なんと未踏峰クーラカンリ東峰(7,381m)に初登頂し、日本スポーツ賞を受賞しました。
陸上部で鍛えていたので、在学中に制覇できたのでしょうね。
プロ登山家
2005年 インドのシブリンで足の指を3本失う大怪我を経験
2008年 カメット峰南東壁の未踏ルート初登頂
日本人初のピオレドール賞を受賞
2010年 ヒマラヤ山脈のアマ・ダブラムで遭難
2018年 シスパーレ北東壁の未踏ルートからの登頂に成功
2度目のピオレドール賞を受賞
2020年 3度目のピオレドール賞受賞
大学卒業後はプロの登山家として数々の未踏峰に挑戦します。
2008年7月、登山家竹内洋岳からの誘いで8,000m峰のガッシャーブルムⅡ峰とブロードピークにサポート兼カメラマンとして参加します。
10月にはカメット峰(7,756m)南東壁の未踏ルート初登頂という快挙を成し遂げ、日本人初のピオレドール賞を受賞。
さらに、2018年にはシスパーレ(7,611m)北東壁の未踏ルートからの登頂にも成功し、2度目のピオレドール賞を受賞しています。
平出さんのすごいところは、ただ登るだけじゃないところなんです!
山岳カメラマンとしても世界的に活躍しています。
2013年にはなんと80歳でエベレスト登頂に挑戦した三浦雄一郎さんに同行し、その歴史的瞬間をカメラに収めたことでも話題になりました。
しかし、平出さんの挑戦はいつも順風満帆だったわけではありません。
2005年にはインドのシブリン(6,543m)で足の指を3本失うという大怪我を経験。
2010年には、ヒマラヤ山脈のアマ・ダブラムで遭難し、救助に向かったヘリコプターが墜落、隊員2名が亡くなるという悲劇にも見舞われました。
それでも、平出さんは決して諦めず、挑戦を続けています。
2020年には、世界で最も登頂が難しいと言われるK2に挑戦。
その様子は、ドキュメンタリー番組「情熱大陸」でも特集されました。
平出さんの挑戦は、まさに命がけ。
その姿は、私たちに勇気と感動を与えてくれますね。
まとめ
平出和也さんの経歴についてお伝えしました。
いかがでしたか?
元々は競歩の選手だったとは意外でしたね。
平出和也さんの今後の目標は、K2の未踏ルートからの登頂。
困難な挑戦ですが、きっと平出さんなら成し遂げてくれるはずです。
これからも、平出和也さんの活躍から目が離せません!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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