ボクシング男子フェザー級(57kg級)でパリオリンピック出場を決めた原田周大選手。
試合後、相手選手や審判、観客に深々と頭を下げる姿は、彼の礼儀正しさと謙虚さで注目の選手ですよね。
また、地元である北九州市への愛着も深く、「北九州には僕の人生のほぼすべてが詰まっています」と語るなど、地元への感謝の気持ちも忘れません。
今回は、そんな原田選手の経歴や人物像について詳しく調べてみました!
原田周大のプロフィール
名前:原田 周大 (はらだ しゅうだい)
生年月日:2001年10月2日
出身地:福岡県北九州市小倉南区
身長:167cm
体重:57kg
血液型:B型
利き手:左出身校:豊国学園高校、専修大学得意技:左ジャブ
原田選手は、福岡県北九州市出身の23歳。
12歳の時に、5歳年上のお兄さんの影響でボクシングを始めました。
それまではサッカーに夢中だったそうですが、ボクシングジムの会長に褒められたことがきっかけで、ボクシングにのめり込んでいったそうです。
現在はイケメンボクサーとしても人気を集めています。
原田周大の学歴
原田周大さんの学歴は
高校:豊国学園高校
大学:専修大学
となっています。
豊国学園高校
原田選手は、地元・北九州市にあるボクシング強豪校、豊国学園高校に進学しました。
高校では、全国大会で優秀な成績を収めた2学年上の先輩、川谷剛史選手の存在が大きな刺激になったそうです。
川谷選手は、全国大会で2冠を達成するなど、まさに雲の上の存在。
原田選手は、そんな先輩の姿を見て、常に謙虚な姿勢と感謝の気持ちを忘れずにいることの大切さを学び、人間としても大きく成長しました。
高校1年生の時に出場した福岡県大会では、減量に苦しみながらも優勝を果たした原田選手。
中学校時代の友人たちが小さな祝勝会を開いてくれたそうです!
高校2年生の時には全国高校選抜大会で3位入賞を果たし、その才能を一気に開花させます。
その後も、高校3年生のインターハイで全国3位、茨城国体では福岡県代表として出場し準優勝という素晴らしい成績を残しました。
ボクシングに行き詰まった時には、仲間たちと一緒に自転車で40分ほどかけて平尾台まで行き、星空を眺めながら語り合ったこともあったとか。
こうした仲間との絆が、原田選手を支え、さらなる高みへと導いたのかもしれませんね。
専修大学
高校卒業後、原田選手は東京にある専修大学法学部に進学します。
しかし、大学入学と同時に新型コロナウイルスが猛威を振るい始め、練習環境は一変してしまいました。
授業もオンラインになってしまったので、1年間友達ができなかったとも語っています。
ボクシング場が使えなくなり、監督やコーチからの直接指導を受けることもできない日々。
それでも原田選手は諦めず、工夫を凝らして練習を続けました。
そんな苦しい時期を乗り越え、原田選手は大学2年生の時に全日本ボクシング選手権バンタム級で初優勝。
さらに、翌年にはフェザー級でも優勝し、2階級制覇という偉業を達成しました。
この快挙は、コロナ禍での努力が実を結んだ証と言えるでしょう。
原田周大の経歴
バンダム級、フェザー級で優勝
アジア大会 準優勝
パリオリンピック出場
原田周大さんの大学卒業後も競技を続け、全日本選手権で輝かしい成績を残しています。
バンタム級、フェザー級の2階級で優勝を達成し、その実力は誰もが認めるところとなりました。
特に印象的なのは、フェザー級に転向してからの優勝。
階級変更という新たな挑戦にもかかわらず、見事な勝利を収めたことは、彼の適応能力の高さとたゆまぬ努力の賜物と言えるでしょう。
また、原田選手の活躍は国内にとどまりません。
2023年のアジア大会では、準優勝という快挙を達成!
世界の強豪たちを相手に堂々とした戦いぶりを見せ、パリオリンピック出場への切符を手にしました。
原田選手の夢は、パリオリンピックでの金メダル獲得。
そのために、彼は日々厳しいトレーニングを積み重ねています。
持ち前の負けん気の強さと冷静な試合運びで、世界の頂点を目指して突き進む原田選手。
彼の挑戦は、私たちに大きな感動と勇気を与えてくれるでしょう。
まとめ
今回は、原田周大選手の大学卒業後の経歴についてまとめました。
全日本選手権での2階級制覇、アジア大会での準優勝など、輝かしい実績を残してきた原田選手。
彼の今後の活躍から目が離せません!
パリオリンピックでの金メダル獲得という夢に向かって、全力で応援していきましょう!
まとめ
努力を重ね、夢のパリオリンピック出場を決めた原田選手。
彼の目標は、もちろん金メダル獲得です!
持ち前の明るさと礼儀正しさ、そしてたゆまぬ努力で、きっと夢を叶えてくれるでしょう。
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